「これはレディースですか?」という問いへの違和感
時折いただくご質問の中に、「これは女性向けですか?」という声があります。もちろん、そう聞きたくなる気持ちはよくわかります。
けれど、ジュエリーをつくる私たち自身は、どこかでこの問いに「本当にそれって必要かな?」と考えてしまうのです。
ただ、未だ現代社会には「こうあるべき」という性別に基づいたスタイルの規範があります。
たとえば、「女性らしい装い」と言えばスカートや柔らかな色合い、「男性らしい装い」と言えばパンツスタイルや直線的なシルエットが連想されがちです。
でも、ふと立ち止まって考えてみると──
私たちは本当に“それ”にフィットしていると感じているのでしょうか?
自分らしさを感じられない服を着ているとき、不思議と肩に力が入ってしまったり、どこか心が落ち着かない。
装いとは、他者の目に映るもの以上に、自分自身と対話するためのツールでもあるのです。
もともと「服に性別」はなかった?
現在、ファッションの多くは性別ごとにカテゴライズされていますが、それは近代以降に確立された“制度”のひとつにすぎません。
たとえば──
・中世ヨーロッパでは、貴族男性がハイヒールを履いていました(馬に乗るときの機能性+権威の象徴)
・江戸時代の日本では、男女ともに着物の形はほとんど変わらず、色柄で個性を表現していました
・20世紀初頭のココ・シャネルは、コルセットに縛られた女性服からの解放を試み、パンツスタイルを提案しました
つまり、“性別と装いの結びつき”は、時代の価値観や社会制度の反映であって、本質ではないとも言えます。
-パンツスタイルで登場したココ・シャネル
ジェンダーの枠を超えるファッションは、なぜ魅力的に映るのか?
数年前から、ランウェイや日常のファッションにおいて、ジェンダーレスな装いが注目を集め、いまや定番スタイルの1つとなっています。
中性的なスーツを着こなす女性や、柔らかい色味やシルエットをまとう男性──
特に、女性的な装いをする男性は、ここ数年で急激に増えたのでは無いでしょうか。
ボーイッシュやマニッシュといった、男性的な装いをする女性を表現する言葉は以前からありました。
しかし、男性がメイクをしたり、美容に力を入れたりする文化は、現代の多様性を物語っている気がします。
そうした姿がどこか魅力的に映るのは、ただトレンドだからではなく、“固定観念から解放された自由さ”が感じられるからではないでしょうか。
「こうあるべき」に縛られず、自分の感性や身体感覚に素直に選び取った装い。それは他人にとっても、美しさや力強さとして響くのです。
「性別から自由になる」ことの深い意味
装いから性別を手放すことは、単に“ファッションの自由”にとどまりません。
それは、自分自身が他者をジャッジしないまなざしを育てることでもあり、自分を縛っていた無意識の思い込みから自由になるプロセスでもあります。
“誰かのための装い”から、“自分のための装い”へ。
その変化は、日々の選択の中で少しずつ訪れます。
性別という枠を越えた装いが当たり前になる社会は、もっと優しく、もっと多様で、もっと創造的です。
私(筆者)も男性ですが、髪をロングにしてコテで巻いたり、メイクをしたり、ネイルをしたりします。
そのように振る舞うことで、他人のためではなく、自身のために生きるきっかけになります。
また、単純に気分が上がります。
昔のように、男性だから男性のように振る舞う生活を送っていたら、気づくことができなかった観点です。
「中性」と「性の逆転」は、似て非なるもの
私(筆者)自身、ジェンダーレスな装いをする上で気をつけていること、
つまり"境界線"を持っています。
ジェンダーレスな装いを語るとき、「女性的な男性」や「男性的な女性」というイメージが先行することがあります。
でも実際は、「逆の性を装う」ことが、必ずしも“ジェンダーレス”ではありません。
たとえば、街で男性がスカートやキャミソールを着ていたら、まだまだ受け入れ難い空気が漂うのも事実です。
ジェンダーレスなファッションが「突飛な挑戦」と捉えられてしまうことは、本質的な“自由”とは少し異なります。
私たちが目指したいのは、「性別の逆転」ではなく、「ニュートラルな選択肢」。
性別の記号にとらわれず、ただ「心地よい」「美しい」と思えるものを身につけること。
過剰な主張ではなく、静かに自分を表現する装いこそが、これからの時代にふさわしい感性なのではないでしょうか。
それは、誰かに“見せる”ためではなく、自分のために“選ぶ”装い。
ニュートラルとは、そうした選択の自由を手にすることなのです。
SOWNが考える、“性別を超える装い”のあり方
SOWNのジュエリーは、特定のジェンダーを想定してつくられていません。
WebサイトやSNSのビジュアルでは、女性モデルを多用していますが、理由があります。
現代ではジュエリーやアクセサリーの市場は圧倒的に女性市場であるため(腕時計になると男性ですが)女性モデルを使用するのが無難だからです。
男性モデルを使用してしまうと、一見してメンズ用に見えてしまう可能性が高いからです。(オーナーも男性なので)
デザインや世界観は、
曲線と直線、繊細さと強さ──相反するようでいて、ひとつの存在の中に自然と同居しているものを、美しさとして形にしています。
私たちは、ジュエリーが“誰かの心に寄り添う感性のかたち”であってほしいと願っています。
それが男性であっても、女性であっても、あるいはどちらにもあてはまらない感覚を持つ人であっても──その人自身に、そっと似合うものを。
終わりに|装いとは、自分とつながるための選択
“らしさ”という言葉の奥にある、社会のまなざしや歴史の積み重ね。
それらにとらわれすぎず、自分の感覚で装うことは、まさに「自分自身とつながる行為」なのかもしれません。
装いに性別があるかどうか。
その問いの答えは、誰かに決められるものではなく、自分の中で見つけていくもの。
ファッションは自由であるからこそ、時に問いかけをくれます。
「私は、何に美しさを感じるのだろう?」
その感覚を信じてみるところから、あたらしい装いの物語が始まるのです。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉