「好きなことを仕事にしよう」
この言葉は、とても魅力的に聞こえます。
でも実際には、
“好き”にも種類があるのではないか、と最近よく思います。
「行為」が好きなのか、「結果」が好きなのか
例えば、料理。
「料理が好きだから、料理人になる」
一見すると、とても自然な選択に思えます。
でも、ここには大きく二つの“好き”があります。
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料理という行為そのものが好き
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作った料理を美味しく食べてもらえたときの感情が好き
もし前者なら、
料理は仕事にしなくても成立します。
家族にふるまう。
友人を呼んで料理する。
自分のために、静かに作る。
それだけで、十分満たされるはずです。
「誰かの反応」が好きな場合
一方で、
「美味しかった」と言われる瞬間が好きな人。
この場合、
必ずしも“自分が料理する”必要はありません。
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メニューを考える人
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食体験を設計する人
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レストランの空間をつくる人
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ホールで接客する人
料理という行為の外側にも、
たくさんの選択肢があります。
大切なのは、
何をしているときに心が満たされるのかです。
これは、どんな仕事にも当てはまる
料理に限った話ではありません。
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文章を書くのが好き
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デザインが好き
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写真を撮るのが好き
その「好き」は、
作業が好きなのか、
届けた先の反応が好きなのか。
ここを見誤ると、
仕事にした瞬間、急につらくなります。
デザインは、正直そこまで楽しくない
私自身、デザインを仕事にしていますが、
作業そのものが楽しいと感じることは、ほとんどありません。
細かい調整。
修正。
意図の言語化。
決して、気持ちのいい作業ではないです。
それでも続けているのは、
自分のデザインが誰かに受け入れられたり、
世界のどこかで、誰かの手に渡っていると想像できるから。
そこに、喜びがあります。
行為は、必ず“仕事”になると汚れる
どんなに好きなことでも、
お金が発生した瞬間、現実が混ざります。
・締切
・責任
・調整
・理不尽
「行為そのもの」が好きな人ほど、
この部分で心が削られてしまうことも多い。
続く人は、“その先”を見ている
もしかすると、
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行為が好きな人ほど、趣味向き
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行為から生まれる“何か”が好きな人ほど、仕事向き
なのかもしれません。
行為は、手段。
本当に追いかけているのは、その先にある感情や影響。
そこが見えていれば、
多少の面倒さや、つらさがあっても、踏みとどまれる。
「何が好きか」より、「なぜ好きか」
仕事を選ぶとき、
「何が好きか」よりも、
「なぜ、それが好きなのか」
「それによって、何を感じたいのか」
そこまで掘り下げて考えると、
選択肢は、少し静かに、でも確実に広がります。
行為が好きなことは、素敵です。
でも、続けたいなら、
その先にある“好き”にも目を向ける必要がある。
そんな気がしています。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉