すぐに消えるから、美しい
桜の花びらが散る瞬間、
夕暮れが空を染めていく時間、
音楽が最後の一音を残して静まるとき。
私たちは、どうして“終わりゆくもの”に心を動かされるのでしょうか。
それは、消えていく瞬間にこそ「生きている」という感覚が宿るから。
永遠に続くものにはない、時間のぬくもりがそこにあるのです。
儚さとは、命の輪郭を思い出させてくれる“優しい痛み”なのかもしれません。
「終わる」と知っているから、感じられる
たとえば、コンサートの最後の曲が特別に胸を打つように。
私たちは「もうすぐ終わる」と感じた瞬間に、
初めて“いま”を全身で受け取ろうとします。
花が咲き続けたら、
夕焼けが夜を拒んだら、
その一瞬の美しさには気づけないでしょう。
“消えるもの”は、私たちに「感じる」という行為の尊さを教えてくれます。
儚さの中で、記憶は光になる
一瞬で消えてしまうものほど、心の奥に長く残ります。
花の香り、誰かの声、
夏の夜に聴いた風鈴の音──。
時間が経っても思い出せるのは、
その瞬間が“完全ではなかった”からです。
人は、完成よりも未完成に惹かれる。
終わりのあるものの中にこそ、想像が生まれ、感性が育まれます。
永遠ではなく、“変化”を愛するということ
現代は、デジタルの中であらゆるものが保存できる時代です。
音も、映像も、言葉さえも、記録として残すことができます。
けれど、記録されたものからは“風”が抜け落ちている。
その場にあった空気、匂い、温度──
“消えるからこそ美しかった”あの瞬間は、データでは再現できません。
私たちは本能的に、
永遠よりも「変わっていくこと」を愛しているのかもしれません。
消えるものを、感じ取る力を
“消えるもの”を愛するということは、
「いま」を繊細に受け取る力を持つということです。
花が散るときに胸が熱くなったり、
誰かと別れるときに静かな感謝を覚えたり──。
それは、心がちゃんと生きている証拠。
ジュエリーもまた、
時間とともに表情を変えていくもの。
小さな傷やくすみさえも、
その人の時間を映す“音の跡”のように感じます。
消えるものの中に、美しさを見出すこと。
それは、感性を研ぎ澄ましながら生きるということです。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉