映画を観終わったあと、胸のあたりにぽっかりと穴が開いたような感覚に包まれることがあります。
それは悲しみでも、後悔でもなく、どこか“静かな虚無感”。
少し寂しいような、何かを失ったような気がして、
エンドロールが終わっても、しばらく動けないこともあります。
非日常を旅したあとに、日常へ戻るということ
きっとこの感覚は、数時間だけ別の世界を旅した反動なのだと思います。
物語の中では、誰かの人生を追体験し、
その感情の揺れを、自分の中に取り込むようにして味わいます。
そして、物語が終わった瞬間、私たちは再び“自分”に戻る。
その落差こそが、あの虚無感の正体かもしれません。
非日常の濃密な時間から、急に現実へと引き戻される──
まるで夢から目覚めた朝のように。
それは、“感受性が豊かである”証拠
でも、私はこの虚無感を「悪いもの」だとは思っていません。
むしろ、それを感じられるということは、感受性が動いている証拠だから。
登場人物の痛みや希望、景色の美しさ、音楽の余韻。
それらを本気で受け取ったからこそ、心に余白が生まれる。
そしてその余白は、しばらくのあいだ、私たちの中で静かに響き続けます。
日常を少しだけ、豊かにする“虚無”
映画を観たあとの虚無感は、日常への違和感でもあります。
「本当は、こんなふうに生きたいのかも」
「自分も、あの主人公みたいに誰かを大切にしたいのかも」
そんな小さな気づきを残してくれるのも、映画の不思議な力です。
だから私は、その虚無感を怖がらず、少しのあいだだけ味わうようにしています。
まるで旅の終わりに、余韻を抱えて帰路につくように。
余韻を、感性の糧に
映画を観たあとに感じる虚無感は、
言葉にならない“感情の余白”のようなもの。
それを無理に埋めようとせずに、ただ静かに受け取ってみる。
そうすると、いつのまにかその余白が、次の感性を育てる土壌になっていることに気づきます。
映画は終わっても、物語はまだ心の中で続いている。
その静かな余韻を、今日も大切にしていきたいと思います。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉