創造性と退屈の関係

創造性と退屈の関係

 

・はじめに

 

「退屈だなぁ」と感じる時間、みなさんは最近ありましたか?

現代社会では、スマホやSNS、動画サービスのおかげで、ほんの数秒の空白時間すら埋められてしまいます。

電車を待つ間、レジの順番を待つ間、あるいは家で何となく過ごす時間。

気づけば、手は自然とスマホへ伸びてしまうのではないでしょうか。


けれど、実はこの“退屈”こそが、私たちの創造性を引き出す重要な要素だと感じています。今日は「退屈と創造性の関係」について考えてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

・退屈が生み出す余白

 

退屈な時間とは、言い換えると「やることが決まっていない時間」でもあります。

脳にとっては、その余白こそが発想の源泉となります。

人は退屈を感じると「何か新しい刺激を探そう」と自然に考え始めます。

すると、普段の生活では思いつかないようなアイデアや気づきがふと浮かんでくるのです。


私自身も経験があります。

たとえば通勤電車で、あえてスマホを取り出さず、ただ窓の外をぼんやり眺めているとき。

すると突然、「あ、次のブログはこのテーマで書こう」と思いついたり、デザインのアイデアが形になったりすることがあります。

つまり退屈は、脳に「遊びの余地」を与え、そこから創造性が芽生えるきっかけをくれるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

・常に刺激があるとどうなるか

 

一方で、退屈を嫌って常にスマホや動画で埋め続けてしまうとどうなるでしょうか。

脳は常に「入力モード」になり、情報を取り込み続けるだけで「出力モード」に切り替わる時間がなくなってしまいます。


インプットはもちろん大事です。

新しい知識や情報を得なければ、アイデアの材料が不足してしまいますから。

でも、インプットばかりでは材料が頭の中に溜まるだけで、料理(アウトプット)ができない状態に近いのです。

余白がなければ「混ぜる」「組み合わせる」といった思考の作業ができず、結局自分のアイデアとして形にできないまま終わってしまいます。

 

 

 

 

 

 

・退屈から生まれた発明

 

実際に歴史を振り返ると、偉大な発明や芸術作品が“退屈な時間”から生まれたケースは多くあります。

有名な科学者や芸術家が散歩を日課にしていたのも、その「何もしていない時間」が発想を促していたからだと言われています。


もっと身近な例でいえば、子どもの頃を思い出してください。

暇だからと、段ボールで秘密基地を作ったり、ただの紙に落書きを延々と描き続けたりしたことはありませんか?

あれは大人から見れば「暇つぶし」ですが、子どもにとっては純粋な創造の時間だったのだと思います。退屈がクリエイティブな遊びに変わる瞬間は、誰もが経験しているはずです。

 

 

 

 

 

 

・退屈を恐れない

 

ただ、大人になると「暇=悪いこと」と考えてしまいがちです。

予定が詰まっていないと不安になったり、何もしていない自分を責めてしまったり。

社会人にとって「退屈でいること」は、どこか怠惰のように見えてしまうのかもしれません。


でも、実際は退屈を恐れる必要はありません。

むしろ退屈を「心の栄養補給」と考えてみるといいのではないでしょうか。

あえて予定を入れず、スマホを手放して過ごす数十分。

その時間を持つことで、アイデアや思考の整理が自然と進んでいきます。

退屈は、ただの暇ではなく「新しいものを生み出すための余白」なのです。

 

 

 

 

 

 

・まとめ

 

退屈は、決してネガティブなものではありません。

むしろ、創造性を引き出すために欠かせない存在です。

次に「退屈だな」と感じたときは、焦ってスマホに手を伸ばすのではなく、あえてその時間を味わってみてください。

静かな余白の中でこそ、思わぬ発想や新しい気づきに出会えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

それではまた明日──

 

SOWN 代表

片倉

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