── 機能ではなく、気分にお金を払う
少し高いコーヒー。
ちょっと良いタオル。
気に入ったマグカップ。
座り心地のいい椅子。
触ったときに気持ちいいペン。
別に、なくても困らない。
もっと安いものもある。
もっと便利なものもある。
それでも、なぜかそれを選んでしまう。
最近、そういう買い物が増えてきた。
「これ、何の役に立つの?」
若い頃は、買い物をするときに、
「これ、何の役に立つんだろう?」
と考えることが多かった。
同じような機能なら、安い方がいい。
長く使えるなら、それでいい。
必要なものを、必要なだけ買う。
それが合理的だと思っていた。
もちろん、それは今でも間違っていない。
でも、少しずつ変わってきた。
例えば、家で使うマグカップ。
飲み物を入れるという機能だけなら、数百円のものでも十分だ。
コーヒーを飲むという目的は、どんなマグカップでも達成できる。
それでも、
「このマグカップで飲みたい」
と思うものがある。
手に持ったときの重さ。
口に触れたときの感触。
形。
釉薬の表情。
机の上に置いたときの佇まい。
一つひとつは小さな違いだ。
でも、その小さな違いが、気分を少し変えてくれる。
「便利」だけでは測れない価値
世の中は、便利になっている。
早くできる。
安くできる。
簡単にできる。
失敗しない。
そういうものは、とても価値がある。
でも、便利さだけを追いかけていると、
「別に困ってはいないけど、なんだか味気ない」
ということもある。
例えば、コンビニで買ったコーヒーも美味しい。
でも、少し時間をかけてお気に入りの豆を選び、自分で淹れるコーヒーには、それとは別の良さがある。
味だけを比べれば、そこまで大きな差がないかもしれない。
でも、
豆を選ぶ。
お湯を沸かす。
香りを感じる。
ゆっくり注ぐ。
その時間まで含めて楽しんでいる。
つまり、お金を払っているのはコーヒーだけではない。
その時間を心地よく過ごすためのお金でもある。
大人になると「気分」にお金を払うようになる
これは、少し贅沢なことなのかもしれない。
「必要だから買う」ではなく、
「これがあると気分がいいから買う」。
機能ではなく、感覚にお金を払う。
合理性だけでは説明できないものに、お金を使う。
若い頃には、
「そんなの、なくてもいいじゃん」
と思っていたものが、
今では、
「いや、これがいいんだよな」
と思える。
その変化が面白い。
もちろん、高いものを買えば気分が良くなるわけではない。
ブランド品だからいいわけでもない。
値段が高いことと、満足度が高いことは別の話だ。
数百円のものでも、
「これ、好きだな」
と思えるものがある。
逆に、何万円払っても、結局あまり使わないものもある。
だから大切なのは、価格ではない。
自分にとって、どれくらい気分を良くしてくれるか。
なのだと思う。
「何でもないもの」が、毎日をつくっている
考えてみると、僕たちの一日は、特別なことでできているわけではない。
朝、顔を洗う。
コーヒーを飲む。
服を着る。
仕事をする。
スマートフォンを見る。
ご飯を食べる。
お風呂に入る。
寝る。
ほとんどが「何でもないこと」だ。
だからこそ、その中にある小さな心地よさは、意外と大きい。
毎日使うタオルが気持ちいい。
お気に入りの椅子に座ると落ち着く。
好きな香りがする。
手に取るたびに嬉しくなる時計がある。
それだけで、一日の中に小さな「好き」がいくつも生まれる。
大きな幸せは、そう簡単には増やせない。
でも、小さな心地よさなら、毎日の中に少しずつ置いていける。
「自分だけが分かる贅沢」
贅沢というと、
高級車。
高級時計。
高級ホテル。
高級レストラン。
そういうものを想像することが多い。
もちろん、それも贅沢だ。
でも、大人になってからの贅沢は、もう少し個人的なものでもいい気がする。
誰かに見せる必要がない。
値段を言わなくてもいい。
「それ、何がそんなにいいの?」
と聞かれても、うまく説明できなくてもいい。
自分だけが、
「これ、好きなんだよね」
と思える。
そういうもの。
それは、他人から見れば「何でもないもの」かもしれない。
でも、自分にとっては、毎日の気分を少し良くしてくれる。
その価値は、他人には分からなくてもいい。
モノを買うことは、自分の時間を選ぶこと
少し良いタオルを買う。
少し良いマグカップを買う。
少し良い椅子を買う。
それは、単純にモノを買っているだけではないのかもしれない。
そのモノを使う「これからの時間」も、一緒に買っている。
朝のコーヒーを飲む時間。
お風呂から出て身体を拭く時間。
仕事から帰って椅子に座る時間。
毎日繰り返す、ほんの数分。
そこに少しだけ心地よさを足す。
そう考えると、モノの価値は「何ができるか」だけでは決まらない。
そのモノと過ごす時間が、どんな気分になるか。
それも立派な価値なのだと思う。
「なくてもいいもの」が、人生には必要
もちろん、何でも買えばいいわけではない。
モノが増えすぎれば、管理する手間も増える。
だからこそ、
「なくてもいいけれど、これがあると嬉しい」
と思えるものを選ぶことが大切なのだと思う。
必要最低限だけで暮らすのもいい。
効率を重視するのもいい。
でも、人間は効率だけでは満たされない。
意味がなくても好き。
役に立たなくても嬉しい。
人に説明できなくても気に入っている。
そういうものが、暮らしの中に少しある。
それだけで、毎日は少し豊かになる。
大人の贅沢は「自分の機嫌を自分で取る」こと
誰かに褒めてもらわなくてもいい。
特別なイベントがなくてもいい。
大きな買い物をしなくてもいい。
ただ、自分が毎日使うものを少し好きなものにする。
いつものコーヒーを少し美味しくする。
触ったときに気持ちいいものを選ぶ。
帰ってきたときに嬉しくなるものを置いておく。
そういう小さな選択は、
「自分の機嫌を、自分で少し良くする」
ということなのかもしれない。
若い頃は、
「これ、何の役に立つの?」
と考えていた。
今は、
「別に役に立たなくても、これが好きだから」
と思える。
それは、無駄遣いを覚えたということではない。
自分にとって何が心地いいのかが、少し分かってきたということなのかもしれない。
何でもないものに、お金を払う。
誰かに見せるためでもなく、
ステータスのためでもなく、
必要だからでもない。
ただ、自分の毎日が少し気分よくなるから。
そういうお金の使い方ができるようになること。
もしかすると、それこそが、
大人になってからの、ちょっとした贅沢なのかもしれない。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉