── 何もしない時間の中にある、静かな豊かさ。
「何もしない」が許される日
カレンダーを見ても、今日は何の予定もない。
誰かと会う約束も、やるべきことも、特にない。
昔の自分なら、そんな日を「もったいない」と思っていた。
でも最近は、この“空っぽの日曜日”が、いちばん贅沢に思える。
外の世界が静まって、自分の時間だけがゆっくりと流れる。
朝の光をぼんやり眺めながら、コーヒーを飲む。
それだけで、不思議と満たされていくのだ。
“静かな時間”が、心を整えてくれる
平日は、何かに追われるように過ぎていく。
メールの通知、予定の管理、人とのやり取り。
でも、何も予定がない日曜日だけは、
世界との接点を一度、ゆるやかに閉じることができる。
すると、少しずつ自分の中の“輪郭”が戻ってくる。
たとえば、好きな香りや音、食べたいもの。
“他人との関係の中での自分”ではなく、
“自分の感覚そのもの”を取り戻すような時間だ。
退屈の中に、感性の種がある
予定のない日を過ごしていると、ふとした瞬間に退屈を感じる。
でもその退屈こそ、創造の余白でもある。
部屋に差し込む光の色や、窓の外の風の音。
普段なら気にも留めないものが、今日は妙に美しく見える。
何かを“生み出す”には、何も起こらない時間が必要だ。
静かな日曜日は、感性がふたたび息を吹き返す時間でもある。
「充実」とは、動くことだけじゃない
現代は、“予定が埋まっていること”が充実の証のように見える。
けれど、本当の充実は、
“今ここにいる自分”をしっかり感じられる瞬間にあるのかもしれない。
誰かと話さなくても、遠くへ行かなくても、
自分の時間を丁寧に味わうことができたなら、
それはきっと、何よりも贅沢な一日だ。
何もしていないようで、ちゃんと生きている
「今日は、何もしなかったな」と思う日でも、
実は心の奥では、いろんなものを感じ、考えている。
静かな時間の中でしか見えないものがある。
予定のない日曜日。
それは、世界の音が一度遠のいて、
自分という“ひとつの音”だけが響く、
かけがえのない時間なのだと思う。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉