なぜ歳を取ると、服に興味がなくなるのか

なぜ歳を取ると、服に興味がなくなるのか

 

服を選ぶことは、

生き方の選択に少し似ていると思う。

若い頃は、どんな色にも袖を通してみたくなる。

けれど、歳を重ねると、不思議と選ばなくなるものが増えていく。

その背景には、静かに移りゆく感性の変化があるのかもしれません。

 

 

「見た目」への関心が薄れていくとき

 

年齢を重ねると、ふと気づけば服選びに時間をかけなくなった──

そんな瞬間が誰しもあるのではないでしょうか。


若い頃は季節が変わるたびに、新しい服を探してワクワクしていたのに、

最近は「これでいいか」と、同じシャツを選んでしまう。


特に男性の場合、年齢を重ねるほどに

“見た目”への関心が静かに薄れていく傾向があります。

それは決して怠け心ではなく、

人生の中で優先すべきものが変わっていく自然な流れなのかもしれません。

 

 

 

 

 

価値観と暮らしの変化

 

結婚や子育て、仕事の責任。

ライフステージが進むにつれ、

お金も時間も「誰かのため」に使うことが増えていきます。


服に使っていた予算が、家族の生活費に変わり、

休日のショッピングが、家の用事や子どもの送迎に変わっていく。


そのうち、「自分のために服を選ぶ」という行為が、

少し遠い出来事になってしまうのです。

 

 

 

 

 

 機能性を優先するようになる

 

服を選ぶ基準が「おしゃれ」から「実用的」へと移っていくのも、

年齢を重ねた証なのかもしれません。


動きやすさ、洗いやすさ、シワにならない素材。

そうした要素が大切になるのは、

自分以外の誰かを思いやりながら生きているからです。


かつては「かっこいいから」選んでいた服が、

今は「汚れてもいいから」選ばれている。

そこには、日々をしなやかに生き抜くための知恵があります。

 

 

 

 

 

 “年相応”という言葉の壁

 

歳を取ると、体型が変わったり、髪や肌に衰えを感じたりします。

すると、人は自然と“年相応”という言葉に身を委ねていく。


「もう若くないし」

「この歳でおしゃれしても」


そうやって、少しずつ感性の灯りを小さくしてしまうのです。


でも本当は、「年相応」とは“諦め”ではなく、

“今の自分に似合うものを知る”という成熟のサインのはずです。

 

 

 

 

 

感性は、何度でも芽吹く

 

服に興味をなくすことは、

感性が枯れてしまったということではありません。


それは、人生の中で一時的に“冬”が訪れたようなもの。

春が来れば、また新しい芽は伸びていく。


ふと立ち寄った店で、「この色、いいな」と感じたとき。

その小さなときめきこそが、

もう一度おしゃれを楽しむためのはじまりです。


服を選ぶという行為は、

誰かに見せるためではなく、

「自分をもう一度、愛してみる」ための静かな儀式。


年齢を重ねた今だからこそ、

流行よりも“自分らしさ”を軸にしたおしゃれができる。

それは、若い頃には持ち得なかった成熟した美しさです。


感性は、何度でも再生します。

そしてその再生は、

人生をもう一度、柔らかく輝かせる力になるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

それではまた明日──

 

SOWN 代表

片倉

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