── 努力の可視化欲求
「最近ほんと忙しくてさ」
「全然寝てなくて」
「もうクタクタだよ」
こういう言葉、日常会話でもSNSでもよく見かけます。
いわゆる“疲れている自慢”。
でもこれって、単なる愚痴というより、
もう少し複雑な心理がある気がしています。
疲労=頑張っている証明になった
今の社会では、
成果よりも先に、努力を説明しないと不安
という空気があります。
・楽そうに見えたら、サボっていると思われるかもしれない
・余裕があると、評価されないかもしれない
だから先回りして言う。
「ちゃんと疲れてます」
「ちゃんと大変なんです」
疲労が、
免罪符や証明書のように使われている。
本当は「わかってほしい」だけ
多くの場合、
疲れている自慢をしたいわけではありません。
本音はもっとシンプルで、
・自分は何もしてないわけじゃない
・ちゃんと向き合っている
・それなりに消耗している
そういう状態を、
誰かにわかってほしいだけ。
でも成果や数字はすぐに出ないから、
代わりに“疲れ”を見せる。
努力が見えにくい時代になった
昔は、
・遅くまで会社に残る
・現場で汗をかく
そういう姿が、そのまま努力として見えました。
でも今は、
・頭の中で考えている
・一人で悩んでいる
・水面下で試行錯誤している
そういう努力ほど、外から見えません。
だからこそ、
「疲れている」という言葉で補足したくなる。
疲れている=偉い、ではないのに
少し厄介なのは、
疲れていること自体に価値があるように
錯覚してしまう点です。
本来、疲労は副産物であって、
目的ではありません。
でも、
・忙しい=充実
・疲れている=頑張っている
という構図ができあがると、
休むことや余裕を持つことに、
罪悪感が生まれてしまう。
余裕を語りにくい社会
「最近わりと楽だよ」
「いい感じに回ってる」
こういう言葉は、
なぜか言いにくい。
自慢に聞こえるかもしれないし、
妬まれるかもしれないし、
頑張ってないと思われるかもしれない。
だから、
余裕より疲労のほうが、安全な表現になる。
疲れている自慢は、弱さの裏返し
少し見方を変えると、
疲れている自慢は、強さではなく弱さです。
「頑張っている私を、否定しないでほしい」
「ちゃんと価値がある存在だと思ってほしい」
そんな不安が、
言葉の裏に隠れています。
頑張りは、必ずしも可視化しなくていい
誰かに説明しなくても、
あなたの努力が消えるわけではありません。
疲れている日があってもいいし、
余裕のある日があってもいい。
すべてを言語化しなくても、
すべてを証明しなくてもいい。
本当に安心できるのは
「疲れているかどうか」ではなく、
「自分が納得しているかどうか」。
誰かに分かってもらう前に、
自分が自分の頑張りを
ちゃんと認めてあげられているか。
それだけで、
“疲れている自慢”は、
少しずつ必要なくなっていくのかもしれません。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉