── 忙しすぎるのも嫌だけど、暇すぎるのもつまらない
仕事がものすごく忙しいときがある。
予定は詰まっている。
帰る頃には、もうヘトヘト。
「もう少し暇だったらいいのに」
と思う。
でも、不思議なことに、
仕事が暇な時期が続くと、
今度は少し物足りなくなる。
毎日ほぼ定時で帰れる。
仕事で追い込まれることもない。
休日もちゃんと休める。
それなのに、
「なんか、最近つまらないな」
と思ったりする。
人間って、なかなか面倒くさい。
ストレスがないのに、満たされない
仕事が忙しくないと、もちろん楽だ。
朝起きても、
「今日も大変だな……」
と思わなくていい。
残業もない。
家に帰ってからも余裕がある。
好きなことができる。
睡眠も取れる。
理想的な生活のように思える。
なのに、しばらく続くと、
「最近、何もしてないな」
という感覚が出てくる。
そして、少し忙しくなると、
今度は、
「やっぱり忙しい方がいいかも」
と思ったりする。
もちろん、本当に限界を超えるほど忙しいのは別の話だ。
でも、
ある程度の負荷は、意外と必要なのかもしれない。
忙しいからこそ、定時が嬉しい
忙しい日の仕事終わりは、
「終わった……!」
という感覚がある。
パソコンを閉じる。
会社を出る。
電車に乗る。
家に帰る。
その瞬間が、ちょっと嬉しい。
そして、
「今日は頑張ったな」
と思える。
もし一日中ほとんど何もしていなかったら、
定時になっても、
「終わった!」
というほどの解放感はない。
ただ、
「今日も一日終わった」
くらいだ。
同じ定時なのに、
その日の充実感が違う。
つまり、
ストレスがあるからこそ、解放されたときの気持ちよさも生まれる。
休日が楽しいのも、平日があるから
これも似ている。
休日が楽しみなのは、
平日があるからだ。
月曜日から金曜日まで仕事をして、
やっと土曜日が来る。
「明日は休みだ」
と思うだけで嬉しい。
土曜日の朝にゆっくり起きる。
好きなところへ行く。
ジムに行く。
美味しいものを食べる。
家で映画を見る。
何もしない。
それだけで楽しい。
でも、もし毎日が休日だったら、
どうだろう。
最初は最高かもしれない。
一週間くらいなら、かなり嬉しい。
でも、それが一ヶ月、一年と続いたら、
今と同じように「休日」という感覚を持てるだろうか。
「疲れた」と「充実した」は、少し近い
忙しい一日を終えて、
「今日は疲れた」
と言う。
でも、そのあとに、
「でも、なんか充実してたな」
と思うことがある。
この二つは、意外と近い場所にある。
もちろん、疲れすぎれば苦しくなる。
ストレスが大きすぎれば、生活そのものが壊れてしまう。
だから、ストレスなら何でもいいわけではない。
そういう負荷があるから、
「できた」
「終わった」
「乗り越えた」
という感覚が生まれる。
何も負荷がなければ、
乗り越えるものもない。
仕事の楽しさは、ずっと楽しいことではない
仕事が楽しいというと、
「仕事をしている時間がずっと楽しい」
と思われることがある。
でも、僕は少し違うと思っている。
しんどい時期がある。
思い通りにいかない時期がある。
プレッシャーがかかる時期がある。
その中でなんとかやり切る。
そして、
「ああ、終わった」
と思う。
少し経つと、
「大変だったけど、あれはあれで面白かったな」
と思う。
この繰り返しなのかもしれない。
ずっと楽しい仕事というより、
大変さと達成感を行ったり来たりする仕事。
その振れ幅が、仕事を面白くしていることもある。
適度なストレスは、人生のスパイス
ストレスは、できれば避けたいものだと思っていた。
でも最近は、
「全部なくせばいいものでもないのかもしれない」
と思う。
少し焦る。
少し悩む。
少し頑張る。
少し疲れる。
そして、
少し達成感を味わう。
そのくらいの繰り返しが、
案外ちょうどいいのかもしれない。
もちろん、
心や身体が壊れるほどのストレスは必要ない。
逃げた方がいいストレスもある。
でも、
「ちょっと大変だけど、なんとかなる」
くらいの負荷なら、
それは人生を少し面白くしてくれることもある。
毎日定時で帰れる生活を羨ましいと思いながら、
忙しい時期には、
「早く暇にならないかな」
と思う。
そして暇になったら、
「なんか物足りないな」
と思う。
人間は、本当にわがままだ。
でも、もしかすると、
そのわがままこそが自然なのかもしれない。
ずっと楽でいたいわけではない。
ずっと大変でいたいわけでもない。
少し頑張って、
少し疲れて、
ちゃんと休む。
その繰り返しの中に、
「充実している」という感覚があるのかもしれない。
何もないことが幸せなのではなく、
少し大変なことがあるからこそ、何もない時間が幸せになる。
そんなことを、最近よく思う。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉