── 工業製品とアートのあいだ
腕時計のデザイナーをしていて、
「この仕事、すごく自分に合っているな」
と思うことがあります。
その理由の一つが、
腕時計には、作品としての側面があるからです。
私はもともとアートが好きで、
美術館に行って絵画やインスタレーションを見るのも好きです。
作品を見て、
「この人は何を考えて、これを作ったんだろう」
と想像する。
色や形、
素材、
空間の使い方。
そこには、
作り手の考えや美意識が詰まっています。
そして、
腕時計にも、
それに近いものを感じます。
工業製品は「使いやすさ」が大切
もちろん、
腕時計も工業製品です。
時間が見やすい。
腕につけやすい。
壊れにくい。
量産できる。
コストに収まる。
防水性を確保する。
いろいろな条件があります。
特に工業デザインでは、
ユーザーがどう使うのか、
どうすれば便利なのか、
どうすれば安全なのか、
どうすれば安く作れるのか。
そういった、
非常に現実的な条件が重要になります。
家電製品などは、
特にそうですよね。
どれだけ美しいデザインでも、
使いにくければ、
良い製品とは言えません。
腕時計には「美しさ」が強く求められる
一方で、
腕時計は少し特殊です。
もちろん、
装着性や視認性は重要です。
でも、
最終的に人が腕時計を選ぶ理由には、
**「美しいから」
「かっこいいから」
「好きだから」**
という感覚的な部分が、
かなり大きくあります。
時間を知るだけなら、
スマートフォンでもいい。
もっと言えば、
スマートフォンの方が正確で便利です。
それでも、
人は腕時計を身につける。
なぜでしょうか。
そこには、
機能だけでは説明できない価値があります。
論理と感性の両方が必要
腕時計のデザインには、
論理的に考えられる部分があります。
文字盤の視認性。
針の長さ。
ケースのサイズ。
インデックスの配置。
腕への収まり。
素材の特性。
製造方法。
これらは、
ある程度、
理屈で説明できます。
でも、
最終的な「かっこよさ」や「美しさ」には、
どうしても感性が入ってきます。
「この形の方が美しい」
「この厚みがちょうどいい」
「この面の光り方がいい」
「ここは少し違和感がある」
こういう判断は、
数字だけでは決められません。
最後は、デザイナーの感性になる
だから、
腕時計のデザインは面白い。
機能や製造上の制約を、
一つずつクリアしていきながら、
最後には、
「自分はどう美しいと思うのか」
という問いが残ります。
そこには、
デザイナーの個性が出ます。
同じ条件を与えられても、
デザイナーによって、
まったく違う時計になる。
それが、
腕時計の面白さだと思います。
職人の仕事も、作品性をつくる
さらに面白いのが、
時計には、
デザイナーだけではなく、
職人の技術も入ってくることです。
ケースの仕上げ。
研磨。
ヘアライン。
面取り。
文字盤の質感。
針の仕上げ。
一つ一つの加工によって、
同じ形でも、
見え方が変わります。
設計図に書かれた数字だけでは、
完成しない。
最後は、
人の手によって、
美しさが作られていく部分もあります。
工業製品なのに、作品として残る
考えてみると、
腕時計は少し不思議な存在です。
大量生産される、
工業製品でありながら、
一つの作品として、
人に選ばれる。
機能がありながら、
機能だけではない。
合理性がありながら、
非合理な美しさも許される。
だから私は、
腕時計は工業製品の中でも、
かなりアートに近い存在なのではないかと思っています。
そして、
腕時計のデザイナーとして、
自分が好きなのは、
まさにそこです。
自分がデザインした時計を見て、
「これは自分の感性を使って作った」
と胸を張って言える。
もちろん、
ユーザーの使いやすさも、
コストも、
量産性も、
すべて考えなければいけない。
でも最後には、
「自分はこれを美しいと思う」
という感覚を、
製品の中に残すことができる。
工業製品でありながら、
そこに作り手の美意識が残る。
それが、
腕時計というものの、
大きな魅力なのだと思います。
そして、
自分がそんな仕事をしていることを考えると、
やっぱりこの仕事は、
自分に合っているなと思います。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉