夜の帰り道。
駅のホームでふと、「ああ、疲れたな」と呟きたくなる瞬間があります。
でも、その言葉を口にするのが、なぜだか怖い。
弱いと思われるかもしれない。
もっと頑張れるはずだ、と自分を責めてしまう。
けれど、心はいつも正直です。
無理をしても、ちゃんと疲れを覚えてくれている。
その小さなサインを、見逃さないでいたいと思います。
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「疲れた」と言うことは、甘えではありません。
それは、生きている証拠であり、
自分を守ろうとする自然な反応です。
けれど、社会の中では“前向きであること”が正解のように扱われます。
「頑張ろう」「ポジティブにいこう」
そんな言葉の裏で、
たくさんの人が、静かに言葉を飲み込んでいるのかもしれません。
本当は、「疲れた」と言うことで、誰かとつながれるのに。
その一言が、やさしさの入り口になることだってあるのに。
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「疲れた」と言える場所を持つというのは、
誰かの前で素直になれることでもあり、
自分の前で嘘をつかないことでもあります。
誰かがいなければ、
自分の中に“聴いてくれる場所”をつくればいい。
ノートに書いてみる。
コーヒーを淹れて、ただ静かに座る。
お気に入りの音楽に身を委ねて、何も考えない。
そんな時間の中で、
少しずつ、心の温度が戻ってくることがあります。
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強く生きるというのは、
何も感じないことではなく、
感じながら、それでも前に進もうとすること。
涙を隠すよりも、
疲れた自分を認める方が、
ずっと勇気のいることかもしれません。
だから今日くらいは、無理に笑わなくていい。
誰かに見せるためじゃなく、
自分を包み込むための静けさを持ってください。
そして、そっとつぶやいてみてください。
「疲れたな」って。
その言葉は、
明日へ向かうための“はじまり”の合図になるから。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉