はじめに
「自己成長」という言葉はとてもポジティブに響きます。
本を読んだり、スキルを学んだり、資格を取ったり。もちろん、それは人生をより良くする大切な行動です。
けれど、ときに「成長しなければ」という意識が強すぎて、かえって心を苦しめてしまうことがあります。
私はこれを「成長中毒」と呼んでいます。
成長にとらわれすぎると、今を生きられない
「成長中毒」に陥ると、常に未来ばかりを見つめてしまいます。
「もっと成果を出さなきゃ」
「もっとスキルを身につけなきゃ」
そうやって“理想の自分”を追いかけるうちに、今ここで味わえる小さな幸せを感じ取る余裕がなくなっていきます。
気がつけば、休日に公園を散歩していても「この時間で本が読めたのに」と考えてしまったり、友人との食事中に「早く帰って作業したい」と焦ってしまったり。
そんな経験はありませんか?
タイパ主義が心を狭くする
効率的に学ぶ、効率的に遊ぶ、効率的に休む──そんな「タイパ(タイムパフォーマンス)」の考え方は便利です。
けれど行きすぎると、人間らしい余白を失ってしまいます。
寄り道やムダ話、なんとなく過ごす時間。
そこには無駄に見えて、実は創造性や人との絆を育むエッセンスがあります。
例えば、友人との長電話。特に結論もなく、ただ近況を話すだけ。
でも、そんな時間に心がふっと軽くなった経験は誰にでもあると思います。
効率だけを求めていたら、そうした心の栄養を失ってしまうのです。
成長よりも大事なこと
成長すること自体は素晴らしいことです。
ただ、それが目的化してしまうと危険です。
大事なのは「成長してどう生きたいのか」。
本を読むのも、スキルを磨くのも、仕事を頑張るのも、結局は自分や大切な人の人生をより豊かにするためのはず。
その軸を忘れてしまうと、成長はただのノルマになり、疲弊を生むだけになってしまいます。
私の失敗談
実は、私自身もかつて「成長中毒」になっていた時期があります。
自己成長を追い求めすぎて、大切な人と過ごす時間が減り、リラックスして余白を楽しむ時間もほとんどなくなっていました。
成長のために「頑張っている自分」に酔っていただけで、心から人生を楽しめていなかったのです。
例えば、友人から遊びに誘われても「今日は自己啓発本を読まないと」と断ったり、家族との食事中も「この1時間で作業ができるのに」と頭の中で計算してしまったり…。
今思えば、とてももったいない時間の使い方をしていました。
その時は「もっとやらなければ」という焦りが原動力でしたが、振り返ってみると失っていたもののほうが大きかったと感じます。
まとめ:成長のその先にあるもの
自己成長は、私たちを前へと導いてくれる大切なエネルギーです。
新しいことを学び、挑戦し、自分を少しずつ更新していくことで、人生には確かな張り合いが生まれます。
しかし、成長だけを追い求めていると、気づかないうちに「本当に大切にしたかったもの」から遠ざかってしまうことがあります。
たとえば、大切な人とのかけがえのない時間や、心をほぐす小さな余白の瞬間。
これらは一度失えば二度と取り戻せないものであり、成長の軌跡と同じくらい、私たちの人生を豊かにする大切な要素です。
「今を生きること」と「未来に備えること」は、どちらか一方を選ばなければならないものではないはず。
むしろ、両方をバランスよく抱きしめてこそ、人生は深みを増していきます。
ときには立ち止まり、頑張ることを手放す勇気も必要です。
そして、その余白のなかでしか見えてこない景色や、人との温かい関わりに触れることで、成長はより自然で、健やかなものになっていくのだと思います。
「成長」そのものよりも大切なのは、その過程で得られる感情や人とのつながり、そして生きる喜びを味わうこと。
成長はゴールではなく、あくまで人生を楽しむための手段です。
だからこそ、少し肩の力を抜きながら、“今”を大切にすることを忘れないでいたいです。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉