はじめに
恋愛、仕事、家族、人生の分かれ道──。
私たちは、大小さまざまな選択を、日々くり返しています。
どちらに進もうか、どう答えようか、やめるべきか、続けるべきか。
迷ったとき、つい誰かに「どう思う?」と聞きたくなること、ありますよね。
でもそのとき、ふと立ち止まって考えてみてほしいのです。
私たちは、本当に答えを求めて相談しているのでしょうか?
それとも、「もう決まっている気持ち」に、ただ背中を押してほしいだけなのでしょうか?
今回は、“相談”と“意思決定”の関係をひもときながら、
自分らしい選び方について考えてみたいと思います。
相談は「情報収集」のためと割り切る
まず、誤解しないでいただきたいのは、相談することが悪いわけではありません。
むしろ、選択肢が定まっていないとき、他者の意見を聞くことはとても有効です。
たとえば、転職するかどうか悩んでいる。どんな企業がいいのか、どんな業界が今後伸びるのか──。
そういうときに友人や専門家の意見を聞いて「情報」を集めることは、とても合理的な行動です。
ただし、自分の中で「もう答えは決まりかけている」とき。
あるいは「気持ちの整理がついていて、あとは行動するだけ」という段階で相談してしまうと、
相手の意見によって、自分の気持ちがブレてしまうことがあります。
そして、結果的に「やっぱり相談しなければよかった…」とモヤモヤが残る。
相談は、あくまで「情報収集」のため。
それ以上でも以下でもないという距離感で接するほうが、自分の決断を守ることにもつながります。
自分の意思に、他人を介入させたいですか?
想像してみてください。
あなたが「転職しようと思ってる」と相談したとします。
そこで「今の会社に残ったほうがいいよ」と言われたら、どう感じますか?
たとえその人が親しい友人でも、少し不愉快な気持ちになりませんか?
それは、おそらくあなたの中ですでに“転職したい”という意思が生まれているからです。
人は、答えが出ていないときは「教えてほしい」と思いますが、
答えが見えかけているときは「肯定してほしい」と思うようになるのです。
相談とは、言葉の形を借りた“確認作業”であることも多いもの。
つまり、本音では「答え合わせ」だけしたかったのに、相手が違う答えを返してきた──
そのズレが、気持ちのズレを生みます。
誰かに答えを委ねるということは、時に自分の感情をかき乱すことにもなる。
だからこそ、自分の中で“気持ちの芯”が見えてきたときは、他人に介入させない強さも持ちたいものです。
他人は、責任を取ってくれない
これはとてもシンプルで、でも本質的な話です。
他人は、あなたの人生の責任を取ってくれません。
どれだけ仲の良い友人でも、信頼している家族でも、
あなたが決断したその先にある苦しみや喜びを“代わりに背負ってくれる”ことはないのです。
「親がこう言ったから」「あの人が勧めてくれたから」──
その言葉にすがるのは、ある意味では楽です。けれど、
それを理由に選んだ道でつまずいたとき、人は「なんであのとき…」と他人のせいにしてしまうことがあります。
でも本当は、自分で選んだことなら、失敗しても悔いは少ないはず。
そこには「自分で決めた」という納得感があるからです。
どんな選択も、引き受ける覚悟があってこそ、意味を持つ。
意思決定とは、そういう重みを持った行為なのです。
相談される側としての、慎重さも
自分が相談する立場ではなく、誰かに相談されたときも、気をつけたいことがあります。
それは、「相手を“自分の考え”で動かさない」ということ。
人に何かを相談されたとき、私たちはつい「こうした方がいいよ」とアドバイスしたくなります。
でも実は、それが相手の自由な意思を奪ってしまうこともある。
特に相手が悩んでいるときほど、アドバイスの言葉は重く響きます。
よかれと思って伝えたことが、相手の背中を押すどころか、
「考えがまとまっていたのに混乱してしまった…」という事態を引き起こすことも。
だからこそ、自分の意見はぐっと飲み込み、
「相手は何を感じていて、どんな未来を望んでいるのか」を丁寧に聞くこと。
そのプロセスこそが、相談されたときに本当にできる“誠実な関わり方”なのかもしれません。
まとめ──「自分で選ぶ」ことの強さ
誰かに相談したくなる瞬間。
それは、孤独な決断の前に、少しだけ心を支えてほしいと願う気持ちなのかもしれません。
けれど最終的には、選んだ道を歩くのは、自分自身。
誰のせいにもせず、誰のせいにもできない。
だからこそ、自分で「これでいい」と言える選び方をしていきたい。
完璧な選択なんて、きっと存在しません。
でも、自分の声に耳を澄まし、納得して選び取ることこそが、
人生を少しずつ、自分のものにしていく方法なのだと思います。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉