── 価値付け中毒という現代病
最近、
「この時間に意味はあるのか?」
と考えすぎていないでしょうか。
勉強になるか。
成長につながるか。
将来に役立つか。
気づけば、私たちはすべての時間に説明責任を求めるようになりました。
■ 価値がないと、使ってはいけない?
動画を見るにも、
「学びになるから」
「インプットだから」
という言い訳を添えたくなる。
何もしない時間には、どこか罪悪感がつきまとう。
ただボーッとすることが、許されない空気があります。
これは、時間そのものではなく、
時間の“意味”ばかりを消費している状態かもしれません。
■ 意味を探すほど、体験は薄くなる
不思議なことに、
「これは意味がある」と考えながら過ごす時間ほど、
記憶にはあまり残りません。
一方で、
・何気なく入った喫茶店
・目的なく歩いた帰り道
・理由もなく見た映画
こうした意味のなかった時間ほど、
あとから鮮明に思い出せたりします。
意味は、先にあるものではなく、
あとから勝手についてくるものなのかもしれません。
■ “時間を殺す”のではなく、“時間が死ぬ”
「時間を無駄にした」という言葉がありますが、
本当に怖いのはその逆です。
意味を求めすぎて、
評価しながら過ごして、
振り返る前に終わってしまう。
そうやって、
生きたはずの時間が、手応えを残さずに死んでいく。
■ 意味は、探さなくていい
大事なのは、
「この時間は何の役に立つか」ではなく、
「今、ちゃんとここにいるか」。
意味があるかどうかを判断する前に、
ただ感じる。
ただ過ごす。
それだけで、
時間はもう十分に生きています。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉