慌ただしい日々の中で、失われていくもの
朝の満員電車、詰め込まれたスケジュール、通知の止まらないスマートフォン。
忙しさの中にいると、自分の言葉も、動作も、少しずつ粗くなっていくのを感じることがあります。
本当は誰もが「丁寧に生きたい」と思っているのに、心の余裕をなくすと、気づかぬうちにその“丁寧さ”がこぼれ落ちてしまう。
でも、丁寧さって、単なるマナーや形式のことではないんですよね。
それは「心に静けさを取り戻す、小さな習慣」のようなものだと思います。
丁寧さは、余裕のある人の特権ではない
「忙しいから無理」と思うかもしれません。
けれど、実は逆なんです。
慌ただしいときほど、丁寧であることに意味があります。
例えば、誰かにメールを送るときに「いつもありがとうございます」と一言添える。
朝コーヒーを淹れるときに、数秒だけ香りを味わってみる。
靴を脱ぐときに、きちんと揃える。
たったそれだけで、自分の中に小さな余白が生まれます。
それは、心の呼吸を取り戻す行為。
「丁寧さ」は、時間の有無ではなく、“心の姿勢”から始まるものなのだと思います。
所作や言葉づかいが、心を整える
人の振る舞いって、不思議と心の状態を映します。
焦っているときほど、動作が荒く、言葉が短くなります。
でも、少しだけ意識して「ゆっくり」と動いてみる。
あるいは「ありがとう」を丁寧に伝えてみる。
それだけで、内側の焦りがほどけていくように感じます。
外側の“美しさ”を整えることが、内側の“静けさ”を取り戻す近道になる。
そんなふうに思うんです。
自分の中に、静かなリズムを持つ
忙しさに流される日々の中でも、
ほんの一瞬、自分のペースに戻る時間を持てたら。
それは、他人に優しくなれる余白にもつながります。
心の静けさは、誰かが与えてくれるものではなく、自分でつくるもの。
そしてそれは、今日の動作ひとつ、言葉ひとつからでも始められる。
“丁寧に生きる”という選択が、あなたの一日を少しだけ豊かにしてくれるはずです。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉