定義が曖昧だから、デザインは無限に生まれる

定義が曖昧だから、デザインは無限に生まれる

 

たまに思うことがあります。


腕時計のように、100年以上の歴史があるプロダクトでも、

なぜ今なお新しいデザインが生まれ続けているのだろう、と。


もう出尽くしたはず。

もう考えられないはず。


デザイナーとして仕事をしていると、

実際に「もう無理だ」と感じる瞬間は何度もあります。

それでも不思議と、次の案は出てくる。


これは、才能の話ではなく、

定義が曖昧だからだと思っています。

 

 

 

 

 

 

ドレスウォッチの定義は、誰も説明できない

 

たとえば「ドレスウォッチ」。


薄くて小さくて、主張しないもの。

そんなイメージを持つ人も多いでしょう。


でも実際には、

メタルの分量が多く、大柄なドレスウォッチも存在します。


では、どこからがドレスウォッチなのか。

明確な線を引ける人はいません。


「これは違う」と言える人はいても、

「ここからが正解」と断言できる人はいない。

 

 

 

 

 

 

ラグスポも、境界線は存在しない

 

ラグスポと呼ばれるジャンルも同じです。


スポーツなのか、ラグジュアリーなのか。

ケース形状なのか、素材なのか、価格なのか。


条件を並べることはできても、

定義を一文で説明することはできません。


それでも人は、

「これはラグスポっぽい」と感じ取ります。


この“っぽさ”の余白こそが、

デザインの居場所です。

 

 

 

 

 

どこからがスニーカーで、どこからが革靴か


これは時計に限った話ではありません。


紐がついている革靴もある。

レザー素材のスニーカーもある。


どこからがスニーカーで、

どこからが革靴なのか。


トレンチコートも同じです。

シングルブレストのトレンチもあれば、

襟が極端に小さいトレンチもある。


ジャンルはあるけれど、

境界線は溶けています。

 

 

 

 

 

 

定義が曖昧だから、自由が生まれる

 

もし定義が完全に固まっていたら、

デザインはすぐに終わります。


「こうでなければならない」

「これは違う」


その瞬間、可能性は閉じます。


でも現実は逆です。

定義が曖昧だからこそ、

少しずつズラすことができる。


そのズレが、

新しい表現になります。

 

 

 

 

 

 

デザインに正解はない

 

デザインに正解はありません。


だからこそ、

作る側は苦しくもあり、楽しくもある。


受け取る側もまた、

「正解を当てる」必要がないから楽しい。


好きかどうか。

美しいと感じるかどうか。


それだけで成立する世界です。

 

 

 

 


そういう分野で仕事ができているということ


定義が曖昧で、

答えがなくて、

それでも続いていく。


そんな分野で仕事ができていることを、

ときどき、ありがたいと思います。


考えても考えても終わらない。

でも、だからこそ、やめられない。


デザインが無限に生まれる理由は、

才能でも流行でもなく、

曖昧さそのものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

それではまた明日──

 

SOWN 代表

片倉

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