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一緒に暮らしていても、一緒にいられる時間は意外と少ない
定時後の時間を、大切にしていますか?
僕は最近、なるべく大切にしたいと思っている。
もちろん、仕事が好きなら残業する日があってもいい。
忙しい時期なら、帰れない日もある。
仕事には、そういう日もある。
でも、定時で帰れる日は、
できるだけ定時で帰りたい。
理由は、仕事以外にもやりたいことがあるから。
そしてもう一つ。
家族やパートナーと過ごせる時間は、思っているよりずっと少ないからだ。
一緒に住んでいるから、たくさん会える?
家族やパートナーと一緒に住んでいると、
「毎日一緒にいる」
という感覚になる。
でも、一日を細かく考えてみると、意外とそうでもない。
朝は起きて、準備をして、それぞれ仕事へ行く。
昼間は別々。
仕事が終わる時間も違う。
帰ってきて、ご飯を食べて、
お風呂に入って、
少しスマホを見て、
寝る。
こうやって考えると、
実際にちゃんと一緒に過ごしている時間は、
一日の中でほんの数時間しかない。
「一緒に住んでいる」と、
「一緒に時間を過ごしている」は、
少し違うのだと思う。
だから、定時後が大切になる
定時に仕事が終わる。
そのあと家に帰れば、
一緒にご飯を食べられる。
今日あったことを話せる。
テレビを見たり、
YouTubeを見たり、
なんとなく一緒に過ごしたりできる。
特別なことではない。
どこかに出かけるわけでもない。
高いレストランに行くわけでもない。
ただ、一緒にご飯を食べる。
それだけ。
でも、こういう時間が意外と大切なのだと思う。
「一緒にいる」は、何かをすることじゃない
昔は、
「せっかくの休日だから、どこかに行こう」
と思っていた。
旅行に行く。
買い物に行く。
映画を見る。
何かイベントをする。
もちろん、それも楽しい。
でも最近は、
「何もしないで一緒にいる」
時間も好きになってきた。
一緒にご飯を食べる。
それぞれスマホを触る。
同じテレビを見る。
片方が料理をして、片方は横で話している。
そんな時間。
後から振り返ったら、
「何をしていたんだっけ?」
と思うかもしれない。
でも、そういう何でもない時間が、
一緒に暮らすということなのかもしれない。
仕事が終わった後にも、一日がある
仕事をしていると、
「今日の予定は仕事が終わってから」
と思いがちだ。
定時までは仕事。
定時後がプライベート。
だから、定時後の時間を「おまけ」のように考えてしまう。
でも、本当は違う。
定時で仕事が終わった瞬間から、
自分の一日が始まる。
家族と過ごす。
パートナーと話す。
ご飯を食べる。
ジムに行く。
料理をする。
本を読む。
何もせずぼーっとする。
それも全部、
ちゃんと人生の時間だ。
仕事だけが一日ではない。
1時間の違いは、意外と大きい
例えば、帰宅が19時の日と、
21時の日。
たった2時間しか違わない。
でも、その2時間でできることは意外と多い。
一緒に夕飯を食べる。
少し話す。
お風呂に入る。
寝る前に少しだけ映画を見る。
たったそれだけでも、
一日の印象はかなり変わる。
逆に、21時に帰ってきて、
ご飯を食べて、
お風呂に入って、
少しスマホを見たら、
もう寝る時間。
同じ「一緒に住んでいる」という生活でも、
一緒に過ごせる時間は全然違う。
だから僕は、
定時後の1時間や2時間を、意外と軽く考えないようにしたい。
「いつでも会える」は、少し危険な言葉
家族やパートナーに対して、
「いつでも会える」
と思っていると、
今日会うことの価値が少し薄くなる。
でも、実際にはそうではない。
今日という日は今日しかない。
今日の夜も、今日しかない。
一緒に食べる今日の夕飯も、
今日しかない。
同じような毎日が続いているように見えても、
少しずつ違う。
仕事の話をする日もある。
くだらないことで笑う日もある。
何も話さない日もある。
疲れていて、早く寝る日もある。
その一つひとつが、
あとから考えれば「一緒に過ごした時間」になる。
定時で帰ることは、自分のためだけじゃない
仕事を早く切り上げるというと、
「自分の時間を大切にする」
というイメージがある。
それももちろん大切だ。
でも、定時で帰ることには、
自分以外の誰かとの時間を守る、
という意味もあると思う。
家で待っている人がいる。
一緒にご飯を食べたい人がいる。
少し話したい人がいる。
そういう人との時間は、
仕事の予定表には書かれていない。
でも、人生にとってはかなり大切な予定だ。
だから、定時で帰れる日は帰る。
帰って、一緒にご飯を食べる。
今日あったことを少し話す。
それだけでもいい。
「何をしたか」より「一緒にいたか」
人生を振り返るとき、
何をしたかは結構忘れてしまう。
何曜日にどこへ行ったか。
何を食べたか。
何時に帰ったか。
細かいことは、どんどん忘れていく。
でも、
「一緒に過ごしていた」
という感覚は、意外と残る。
だから、毎日を特別なものにする必要はない。
旅行に行かなくてもいい。
特別なプレゼントを買わなくてもいい。
定時で帰って、
一緒にご飯を食べる。
その日の出来事を話す。
同じ部屋で、それぞれ好きなことをする。
そんな時間を少しずつ積み重ねる。
それだけでいいのかもしれない。
仕事は、明日もある。
来週もある。
来月もある。
でも、
今日の夜は今日しかない。
一緒に暮らしているからといって、
一緒にいられる時間が無限にあるわけではない。
むしろ、一日単位で見れば、
驚くほど少ない。
だから僕は、
定時で帰れる日は、
なるべく帰りたい。
そして、
一緒にご飯を食べたい。
何か特別なことをするためではなく、
ただ、
「今日も一緒に過ごせたな」
と思える時間をつくるために。
仕事が終わった後の時間は、
仕事の「余り」ではない。
その日の、自分の人生そのものなのだと思う。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉