はじめに
人生のある時期を共に過ごした友人。
数年ぶりに会う約束をしたとき、心の奥には期待と少しの不安が入り混じります。
懐かしい話で盛り上がれるだろうか、今でも同じように笑い合えるだろうか──
そんな思いを抱えながら再会の場に足を運ぶのです。
そして会えば、やはり懐かしさに包まれ、あの頃に一瞬だけ戻れる気がします。
けれど、話を重ねるうちに浮かび上がるのは、年月の中で少しずつ変わってしまったお互いの輪郭。
その差に気づいた瞬間、「あぁ、これが最後になるのかもしれない」と心のどこかで感じてしまうのです。
共感できなくなる瞬間
学生時代や若い頃は、同じ未来を夢見て、同じ小さなことに笑い合えました。
授業が退屈で抜け出した日のこと、好きなバンドや映画の話で夜を徹して語り合ったこと。
あの頃の私たちは、価値観のほとんどを共有していたのだと思います。
しかし再会した今、話題は仕事の愚痴や家庭のこと、資産や老後の不安といった、かつては想像もしなかったテーマにすり替わっていきます。
それは決して悪いことではないけれど、会話の奥に流れる「温度差」がどうしても埋められない瞬間がある。
自分が大切にしているものと、相手が大切にしているものが、もう重ならなくなっているのだと気づいた時、胸に小さな寂しさが広がります。
「最後かもしれない」と思う別れ際
楽しい時間はあっという間に過ぎ、居酒屋の出口や駅の改札で別れの時を迎えます。
かつてなら「次はいつにする?」と自然に口に出ていたはずの言葉が、なぜか喉の奥でつかえてしまう。
代わりに出てくるのは、少し曖昧な「またね」という言葉だけ。
その瞬間にふと漂うのは、「この人と会うのは、今日が最後かもしれない」という確かな予感です。
無理をして繋ぎとめる必要もない。
ただ、静かに人生の道が分かれていくのを見届けるような、そんな別れ方。
帰り道、夜風に当たりながらじんわりとその現実を噛みしめる時間は、何ともいえない切なさで胸を満たします。
それでも、消えないもの
たとえ「次はない」と感じても、その友人と過ごした日々は消えることはありません。
若さゆえの無鉄砲さや、何気ない日常の中で交わした笑顔や励まし。
それらは心の奥に刻まれ、いまの自分を支える静かな力になっています。
人との関係は、続くか終わるかだけで語れるものではありません。
たとえ続かなかったとしても、その時に確かに寄り添ってくれた時間は、人生を形づくる大切な断片です。
だからこそ、別れに寂しさを感じると同時に、感謝もまた深まっていくのではないでしょうか。
まとめ
友人関係もまた、季節のように移ろいゆくものです。
春のように勢いよく咲き誇る時期もあれば、秋のように静かに彩りを変え、やがて冬を迎える関係もあります。
「もう次はないな…」と思う瞬間は、終わりを告げるだけのものではなく、その関係が確かに存在した証でもあるのです。
別れを切なく感じるのは、それだけ濃い時間を共に過ごした証拠。
その思い出は、これからの人生を生きていく上で、かけがえのない温もりとして残り続けるはずです。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉