── 後付けの納得感
私たちは、人生の中で無数の選択をしています。
進学、就職、引っ越し、人間関係。
そして同時に、選ばなかった選択肢も、山ほど抱えています。
不思議なのは、時間が経つほど
「選ばなかった理由」が、どんどん“立派”になっていくことです。
選ばなかった理由は、あとから整えられる
たとえば、
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あの会社に行かなかったのは「合わなそうだったから」
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あの人と続かなかったのは「価値観が違ったから」
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あの挑戦をしなかったのは「タイミングじゃなかったから」
どれも、もっともらしい理由です。
でも正直に言えば、
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少し怖かった
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自信がなかった
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面倒だった
そんな感情が先にあったことも、多いはずです。
それでも私たちは、
「怖かった」ではなく
「合理的だった」と説明したくなる。
選択よりも、「説明」が心を支える
面白いのは、
人生を前に進めているのは
選択そのものよりも、その選択をどう説明できるか
だったりする点です。
人は、
「正しい選択をしたい」のではなく、
「納得できる物語を持ちたい」。
だから、選ばなかった道にも
ちゃんと意味を与えたくなる。
後付けでもいいから、
「これは自分らしい判断だった」と思える形に整える。
美化は、弱さではなく“機能”かもしれない
「後付けで理由を作るなんて、ずるい」
そう感じる人もいるかもしれません。
でも、もし毎回
「本当は怖かった」
「逃げただけかもしれない」
とだけ考え続けていたら、
前には進めないでしょう。
だからこの美化は、
自己正当化というより
心を壊さないための装置なのかもしれません。
それは本当に“選ばなかった”のか
ひとつ、問いを残したいと思います。
私たちは本当に、
「選ばなかった理由」を美化しているだけなのでしょうか。
それとも、
選ばなかった理由を語れるようになるまで、
時間が必要だっただけなのか。
選択よりも、説明のほうが人生を支えている。
そう考えると、
迷いや後悔の見え方も、少し変わってくる気がします。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉