・はじめに
最近、SNSやメディアでも「ルッキズム(外見至上主義)」という言葉をよく耳にするようになりました。
見た目が整っている人が得をし、整っていないと損をする──そんな風潮に、息苦しさを感じたことのある人も多いのではないでしょうか。
「人は見た目が9割」とも言われますが、それが自分や誰かを縛りつける鎖のようになってしまったら、それはとてももったいないこと。
この記事では、「外見」で人を判断してしまう私たちの無意識にやさしく光を当てながら、“人を見つめるまなざし”の持ち方を、SOWNらしく考えてみます。
・人は人を外見で判断する
まず前提として、人はどうしても「外見」によって無意識に印象を形成してしまう生き物です。
これは生物としての本能でもあります。敵か味方か、安全か危険かを瞬時に判断するために、視覚情報はとても重要だからです。
たとえば、初対面の相手が笑顔で清潔感のある身なりをしていれば、自然と安心できますし、逆に無表情で乱れた服装だと、少し警戒してしまうこともあるでしょう。
ただ、それはあくまで“第一印象”の話。
その印象がその人の「すべて」ではないし、そこからどんな関係を築けるかは、むしろその後の態度や会話のなかにあります。
「見た目だけで判断しない」という感性は、こうした本能に対して意識的な選択をする力なのです。
・言葉や態度に出すかどうか
外見から何かを感じ取ったとしても、それを口にするかどうかは、自分でコントロールできます。
「〇〇ちゃんって太った?」とか、「もっとメイクしたらいいのに」──こうした言葉は、一見アドバイスのようでいて、実は深く傷つけることもあります。
ルッキズムとは、単に「見た目で人を判断すること」ではなく、
「その判断を無自覚に、言葉や態度に出してしまうこと」こそが問題なのです。
誰しも、他人の見た目について何かを思う瞬間はあります。
でもその感情をそのまま言葉にせず、丁寧に咀嚼して飲み込むことができるか。
それが、大人の感性であり、人を思いやる力です。
・外見は整えるに越したことはない
一方で、自分の見た目を整えること自体は悪いことではありません。
むしろ「清潔感」や「丁寧に整えられた装い」は、相手に対する小さな気遣いでもあります。
髪を整えたり、服をアイロンがけしたり、お気に入りのジュエリーを身につけたり──
そうした「自分を整える時間」は、自分を丁寧に扱うというセルフケアの一環でもありますし、
他者と心地よく関わるためのちょっとした礼儀でもあります。
大切なのは、「人のために見た目を整えなきゃ」と義務のように感じることではなく、
「自分自身が気持ちよく過ごすために、自分を整える」という発想であること。
その延長線上に、やさしいコミュニケーションが生まれるのだと思います。
・イケメンや美人という評価に、触れすぎない
顔の造形や体型といった生まれ持った特徴は、自分の努力だけではどうにもできない部分もあります。
そうした先天的な要素に対して、軽々しく評価を下すのは、とても繊細な問題を含んでいます。
それに、褒める意図だったとしても、「イケメン」「美人」といった言葉は、ときに相手にプレッシャーを与えてしまうこともあります。
「見た目で期待されている」という無言の圧に、しんどさを感じる人もいるのです。
だからこそ、人を褒めるときは、「変えられる部分」──たとえば、選んだ服、似合う髪型、身につけたアクセサリーなどに注目しましょう。
その人のセンスや選択に敬意を払うことが、より本質的なコミュニケーションにつながります。
・まとめ
ルッキズムという言葉が広がっているのは、それだけ多くの人が「見た目」にまつわる無意識の偏見に悩んでいる証です。
でも、そんな時代だからこそ、私たちができることはきっとあるはずです。
「言わない」というやさしさを持つこと。
「見た目だけで人を決めつけない」という感性を育てていくこと。
そして、自分自身のことも、「もっとこうじゃなきゃ」と責めすぎず、
今日の自分にできる範囲で整えてあげること。
人を見るまなざしも、自分を見つめるまなざしも、
少しずつ磨いていけたら──
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉