── 何もしない一日を、ちゃんと選んだ一日にする
予定がない日は、なぜ少し虚しいのか
友人との約束もない。
家族の用事もない。
カレンダーが真っ白な日。
自由なはずなのに、
どこか「何もしていない感じ」が残ることがあります。
気づけばスマホを眺め、
動画を流し、
一日が終わる。
同じ時間を使っているのに、
「満たされた日」と
「ただ過ぎただけの日」があるのは、
不思議なことです。
コンテンツ消費は、本来“予定”だったはず
映画を見る。
ドラマを一気見する。
漫画を読む。
これらは本来、
「やりたいこと」だったはずです。
でも、
・なんとなく再生する
・気づいたら見ている
という状態になると、
コンテンツは「行動」ではなく
「時間の隙間埋め」に変わってしまいます。
同じ映画でも、
選んで観るのか、
流されて観るのかで、
体験の質はまったく違います。
予定に入れるだけで、意味が変わる
例えば、
・10:00〜 映画を1本観る
・13:00〜 漫画を読む
・15:00〜 音楽を聴きながら散歩する
これをカレンダーに入れるだけ。
やっていることは、
いつもと同じかもしれません。
でも、
「なんとなく過ごした」一日が
「自分のために時間を使った」一日に変わります。
予定に入れる=
その時間を肯定するということ。
人の予定がない日は、自分の予定を入れる
私たちは、
人との約束がある日は満足しやすい。
でも、
人と会わない日は、
なぜか「価値が低い日」だと感じてしまう。
本当は逆で、
誰にも邪魔されない時間は
かなり贅沢です。
だからこそ、
その時間を
「ちゃんと使った」と
自分が認識できる形にする。
それが、
コンテンツ消費を予定化する意味だと思います。
生活の満足度は、出来事ではなく解釈で決まる
同じ映画を観ても、
・暇つぶし
・自分のための時間
このどちらとして捉えるかで、
一日の印象は変わります。
何をしたかよりも、
どう位置づけたか。
コンテンツ消費を
予定に組み込むという行為は、
自分の時間にラベルを貼ることなのかもしれません。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉