── 関わる“手間”の中にしか、人との深さは生まれない。
人見知りだった頃の自分へ
私は昔から、人見知りで、少しコミュ障でした。
誰かと話すときに、何を話せばいいのかわからなくて、
沈黙が怖くて、つい距離をとってしまう。
でも、そんな自分を変えられたのは、
「コミュニケーションでラクをしない」と決めたからです。
“ラクする”ということ
コミュニケーションでラクをするというのは、
そもそも人と関わらないこと。
もしくは、当たり障りのない一般論で会話を終わらせること。
自分から誘わず、
“無難”の中に身を置いて、波風を立てないように生きること。
それは一見、穏やかに見えても、
じつは少しずつ心の筋肉を弱らせていく習慣です。
関わるという“コスト”を払う
誰かに嫌われるかもしれない。
うまく話せなくて、気まずい空気になるかもしれない。
それでも、自分から声をかけたり、誘ったりすること。
そうやって、少しずつ“コミュニケーションコスト”をかけていくと、
人との関係がゆっくりと深まっていきます。
本音を言えるようになったり、
相手の小さな変化に気づけるようになったり。
ラクをしない分だけ、世界が豊かに見えてくるのです。
コミュニケーションは、筋トレのようなもの
話すことも、関わることも、最初はぎこちない。
でも続けていくうちに、少しずつ慣れて、
相手の反応を読む力や、沈黙の受け入れ方が身についていく。
人との関係は、一度で完璧に築けるものではありません。
何度も“試す”ことの中で、少しずつ上達していくものです。
心を使うことを、恐れない
誰かと話すことは、心を使うことです。
だからこそ疲れるし、傷つくこともある。
でも、人と向き合うその“面倒くささ”の中にこそ、
人生のあたたかさが隠れているように思います。
ラクをしないこと。
それは、人とのつながりを諦めないという姿勢そのもの。
コミュニケーションを丁寧に重ねていく人ほど、
世界とやさしく響き合えるのだと思います。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉