“やさしさ”は、どこまで自分を削っていいのか?

“やさしさ”は、どこまで自分を削っていいのか?

 

「やさしくしたい」と思う気持ち

 

誰かが落ち込んでいたら、少しでも力になりたい。

忙しい人がいたら、手を貸してあげたい。

そんなふうに思えることって、とても素敵なことですよね。


日々の生活の中で、

つい誰かを優先して動いてしまう──そんな人も多いと思います。

私もそのひとりです。

でも、ときどき思うんです。

“やさしさ”って、どこまで差し出していいんだろう、と。

 

 

 

 

 

「自分のことは後でいい」と思ってしまう時

 

誰かのために動いているうちに、

自分の時間や気持ちを置き去りにしてしまうことがあります。

本当は休みたかったのに、断れずに手伝ってしまったり。

自分の用事を後回しにして、誰かに合わせてしまったり。


そんなとき、ふと鏡を見ると、

ちょっと疲れた顔をしている自分がいたりして。

「これって、本当にやさしさなのかな?」と立ち止まる瞬間があります。

 

 

 

 

 

“やさしさ”と“がまん”の境界線

 

やさしくすることと、がまんすること。

この2つは、似ているようで全然違います。


相手を想う気持ちはとても尊いけれど、

自分の気持ちを無視してまで差し出すやさしさは、

いつか疲れになってしまう。


本当のやさしさは、無理のない心から生まれるもの。

だからこそ、自分を大切にすることが、

やさしさを続けていくための“土台”なんだと思います。

 

 

 

 

 

“やさしさ”にも、いろんな形があっていい

 

たとえば、距離を取ることもやさしさ。

言葉をかけないこともやさしさ。

その人を信じて見守ることも、立派なやさしさです。


誰かにとっての“やさしさの形”は、

自分とは違っていてもいい。

大切なのは、

「相手を想う気持ち」と「自分をいたわる余白」、

そのどちらも失わないこと。

 

 

 

 

 

自分にも、少しやさしく


夜、疲れた身体で帰ってきたとき、

「今日もよくやった」と自分に言葉をかけるだけで、

心が少し軽くなることがあります。


やさしさを与えるだけじゃなく、

受け取ることも、自分に返すことも忘れずに。

そうやって、バランスを取りながら生きていけたら、

世界はきっと、少しあたたかく感じられる気がします。

 

 

 

 

 

あなたが“やさしくしてあげたい人”の中に、

自分自身は入っていますか?

 

 

 

それではまた明日──

 

SOWN 代表

片倉

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