なぜ“センスがいい人”は説明が下手なのか

なぜ“センスがいい人”は説明が下手なのか

 

── 感覚と言語のズレ


「あの人、センスいいよね」


そう言われる人がいます。


選ぶものがいい。

つくるものが洗練されている。

全体のバランスが自然に整っている。


でも、いざ理由を聞くと、


「なんとなく」

「こっちの方がいい気がする」


と、少し曖昧な答えが返ってくることが多い。


なぜ、あれだけ的確に判断できるのに、

うまく説明できないのでしょうか。



 

 


 

感覚は、「言葉より先にある」


センスがいい人は、

まず“感じる”ことで判断しています。


違和感がある。

バランスが悪い。

こちらの方がしっくりくる。


これは論理というより、

瞬間的な認識に近いものです。


いわば、


言葉にする前に、すでに結論が出ている。


だから、


あとから理由を説明しようとしても、

うまく言語に変換できない。



 

 


 

「わかっている」と「説明できる」は別の能力

 

ここで重要なのは、


理解していることと、説明できることは別物だということ。


センスがいい人は、


・無数のインプットを蓄積している

・パターンを無意識に学習している

・経験から“良さ”を判断できる


ただそれを、


言葉として整理してきたわけではない。


つまり、


感覚としては正しいが、構造化されていない状態。



 

 


 

言語は、「後から整えるもの」


本来、言語化とは


感覚や経験を分解して、

他人に伝わる形に変換する作業です。


でもこの作業は、


自然にできるものではありません。


・どこが違うのか

・なぜそう感じるのか

・何を基準にしているのか


こうした問いを繰り返しながら、

初めて言葉になっていく。


つまり、


センスがあることと、言語化が上手いことは独立している。



 

 


 

言語化されていない感覚は、再現できない

 

ここにひとつ、重要なポイントがあります。


感覚だけで判断できる状態は強い。

でもそれは同時に、


再現性が低い状態でもある。


なぜ良かったのかが説明できなければ、

同じ質を安定して出すことが難しくなる。


逆に言えば、


言語化は“感覚の精度を固定する手段”でもある。



 

 


 

センスを「共有」するには、翻訳が必要

 

もし誰かに伝えたいなら、


感覚のままでは届きません。


必要なのは、


感覚を言葉に翻訳すること。


・少し重い

・余白が足りない

・主張が強すぎる


こうした曖昧な感覚を、

少しずつ解像度の高い言葉にしていく。


その積み重ねが、


他人と感性を共有するための手段になる。



 

 


 

問い

 

あなたが「なんかいい」と感じるものは、

どこがいいのでしょうか。


言葉にしようとすると、

意外と難しいはずです。


でもその難しさの中に、


自分の感覚の輪郭が隠れている。




センスがいい人は、

最初から説明できるわけではありません。


ただ、


感じた違和感を放置せず、

少しずつ言葉にしていく。


その繰り返しの中で、


感覚と論理がつながっていく。


センスとは、

生まれ持ったものではなく、


感覚と言語を往復する中で磨かれていくものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

それではまた明日──

 

SOWN 代表

片倉

Instagram

X (旧Twitter)

 

ブログに戻る
RuffRuff Apps RuffRuff Apps by WANTO