「いい人」でいようとする、無意識の癖
気づけば、私たちは日々の中で“いい人”を演じています。
職場での何気ない会話、友人との付き合い、恋人との関係。
相手を傷つけないように、空気を乱さないように、自分の本音を少しだけ飲み込む。
「嫌われたくない」「波風を立てたくない」——
そんな小さな気遣いが、いつの間にか“演技”に変わっていく。
でも、それをやめるのは難しい。
なぜなら、“いい人”でいることは、社会をなめらかに動かすための潤滑油のようなものだから。
それを外してしまうと、どこかで関係がきしんでしまいそうで、怖いのです。
本音を押し殺すほど、心は乾いていく
誰かを思って我慢することは、時に優しさです。
けれど、それが積み重なると、やがて自分の中に“空洞”のようなものができていきます。
言いたいことを言えなかった夜、笑って帰ったあとにふと湧く寂しさ。
あの感覚は、自分の心がちゃんと声を上げている証拠なのかもしれません。
「私は、本当はこう思っていたのに」と。
やさしさの名のもとに、自分を犠牲にしてしまうと、
そのやさしささえも、いつかはすり減ってしまうのだと思います。
“自分の優しさ”で生きる
「いい人」ではなく、「優しい人」でいたい。
この二つは似ているようで、まったく違うものです。
“いい人”は相手のために自分を曲げるけれど、
“優しい人”は自分を大切にした上で、相手を思いやることができる。
自分の気持ちを無視しない。
我慢ではなく、選択として相手に寄り添う。
それが、本当の意味でのやさしさなのかもしれません。
今日は、少しだけ“いい人”を休んでみよう
誰かに合わせることをやめた夜。
言いたいことを言ってしまった夜。
そんな日があっても、きっと大丈夫。
むしろ、それは自分を取り戻すための小さな勇気です。
“いい人”を休んで、自分の心に帰る時間を持つ。
その静かな夜が、きっと明日のやさしさを育ててくれる。
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉