ルノワール×セザンヌ─モダンを拓いた二人の巨匠
2025/05/29〜09/07の期間
三菱一号館美術館にて開催していたので早速観に行ってきました。
有名な作品も多くあり、ボリュームもあるので、ポスト印象派が好きな方にはおすすめです!
本日はその2人の画家から、美のとらえ方について記事を書いてみました。
よろしければ最後まで読んで頂けると嬉しいです。
1. ふたりの巨匠が見ていた“美”のかたち
ルノワールとセザンヌ。
どちらも19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した画家ですが、描く“美しさ”の方向性は対照的でした。
ルノワールが大切にしたのは、光や空気のあたたかさ。
たとえば、午後の部屋に差し込む光や、誰かと笑いあうやわらかな時間。
──そんな“目に見えないけれど、感じられるもの”をキャンバスに定着させていきました。
一方でセザンヌが探求したのは、物の構造と存在感。
たとえば、リンゴを見たとき、その丸さの奥にある「形の本質」に目を向けるように。
彼は対象を“解体して、組み直す”ことで、見る人に新しい視点を提示し続けました。
ふたりが見つめていた“美”は、まるで違う角度から差し込む光のよう。
そこにこそ、私たちの感性を考えるヒントがあるのです。
-オーギュスト・ルノワール『ピアノを弾く少女たち』
2. 感性のタイプにも、“感じる派”と“考える派”がある?
このふたりの対比は、私たちが日常をどう感じ取っているか──そんな感性の傾向にも重なります。
たとえば、ふとした夕焼けやカフェの窓辺、風に揺れるカーテンにときめく人は、ルノワール的な“感じる派”タイプ。
「なんだかいいな」と感覚で捉え、気持ちや空気感を大切にします。
一方で、「なぜ自分はこの瞬間に惹かれたのか?」と少し距離を置いて考えたり、
「この配置にはどんな意図があるのか?」と仕組みを知りたくなる人は、セザンヌ的な“考える派”タイプ。
たとえば、旅先の写真を撮るとき、感じる派タイプは“感動した風景をそのまま残す”ように撮るのに対し、考える派タイプは“構図や光のバランス”を考えながらシャッターを切るかもしれません。
感性に優劣はありません。ただ、“どちら寄りなのか”を知っておくと、日々の選択や創作が少しだけスムーズになることがあります。
-ポール・セザンヌ『スープ入れのある静物』
3. 自分の感性に、名前をつけてみる
たとえば、朝の通勤でふと「今日の空、やわらかくてきれいだな」と感じたとき。
そんな瞬間に「これはルノワール的な感性かも」と名づけてみる。
あるいは、仕事の進め方で「まず全体構造を決めてからじゃないと落ち着かない」と思ったとき。
「これはセザンヌっぽい見方かも」とラベルを貼ってみる。
名前をつけることで、自分の中の感性が“意識化”され、少しずつ言葉になる。
それは、自分の"好き"を知る上でとても大切なプロセスです。
たとえば、アクセサリーを選ぶとき、「なぜこれに惹かれたんだろう?」と立ち止まって考えてみると、あなたの中にある“世界観”や“かたち”への愛が見えてくるかもしれません。
-オーギュスト・ルノワール『ばらの花束』
4. “自分の美意識”を知ることは、人生のデザインにつながる
たとえば、休日にどんな過ごし方をすると満たされるか。
ルノワール的な人なら「陽だまりのカフェで、音楽とともにゆったり過ごす午後」。
セザンヌ的な人なら「好きな本や展覧会で、“思考の軸”を深める時間」。
“どんな瞬間に自分が美しいと感じるか”は、暮らし方の輪郭そのもの。
自分の美意識を知ることは、どんな服を着て、どんなものを持ち、どんなふうに人と関わりたいか──
人生の細部を、自分らしく設計していく手がかりになります。
-ポール・セザンヌ『草上の昼食』
5. 感性の“軸”を持つと、選ぶことが楽しくなる
何かを選ぶとき、迷ってしまうのは「正解」を探してしまうからかもしれません。
でも、“自分の美の感性”をひとつの軸として持っていると、その選び方はとても自然で、心地よいものに変わります。
ルノワールのように、“やさしいものを重ねていく生き方”もあるし、
セザンヌのように、“自分だけの形を探し続ける生き方”もある。
「私はどちら寄りだろう?」と考えることは、自分の輪郭を知ることにつながります。
その輪郭がはっきりするほど、日々の選択にも、自分だけの“音色”が宿っていくのだと思います。
-オーギュスト・ルノワール『ばらを挿したブロンドの女』
それではまた明日──
SOWN 代表
片倉